ライブラリ内での図書の貸出し・返却の受付や図書の配架、来館者の案内をしています。
また、ボランティア主体で、企画図書やパネルの展示、図書にちなんだ
大阪のまち歩き等を企画・実施しています。
日 時:11月23日(土・祝)14:00~16:00
場 所:大阪市立住まい情報センター3階ホール
講 師:村田 幸雄、辻本 伊織(大阪府立大学大阪検定客員研究員)、オダギリ サトシ(大阪観光プランナー)
大阪検定1級合格者と大阪旅めがねチームで執筆されている『大阪府謎解き散歩』。大阪を知り尽くしたメンバーが大阪の「謎」を厳選し、大阪の「知られざる魅力」を解き明かしています。今回は執筆者で大阪検定1級合格者の村田幸雄さん、辻本伊織さん、大阪検定企画会議委員のオダギリサトシさんをお招きしました。
今回のテーマは、こちらの本!
■なにわ八百八橋の謎~水の都大阪の象徴~/村田 幸雄
なにわ八百八橋、公儀橋と町橋、なにわ三大橋、大阪の橋と錦絵、大阪の橋と句碑について、三択のクイズ形式を取り入れながら説明していきます。
問題1なにわ八百八橋の実数は?-答え:約200
⇒大坂の橋の面積当たり密度は江戸の1.7倍でした。
問題2公儀橋の特徴は橋の欄干に擬宝珠が付けられていることである。橋の東詰に慶長9年の銘のある擬宝珠のレプリカが飾られている東横堀川にかかる橋は何橋?-答え:高麗橋
⇒大坂では圧倒的に町橋が多く、大坂は町人の町の証です。
問題3橋の歴史は洪水による流失の歴史でもある。明治18年の大洪水で鉄橋に架け替 えられ、その時の橋名板が今も保存されている橋は、なにわ三大橋の何橋と何橋?-答え:天満橋と天神橋
⇒天満橋は北東の公園内に、天神橋は天神橋北詰西にあります。大阪天満宮には星合の池畔に2つ揃ってあります。
問題4難波橋の橋桁には「なにわ橋」と「難波橋」の二種類の御影石の橋名板がある。揮毫したのは誰と誰?-答え:橋下徹・大阪府知事と平松邦夫・大阪市長
⇒橋名板に府知事と市長がそろって揮毫しました。大阪らしいです。
問題5堂島川に架るある橋からは、遠く離れた四天王寺の塔が見えるのが珍しいとして、いくつかの錦絵に登場している。この橋は何橋?-答え:玉江橋
⇒堂島川に架かる橋で、江戸時代北詰に中津藩の蔵屋敷がありました。
問題6岸本水府は川柳作家として活躍しましたが、一方某社の広告部長として、某社の知名度を向上させましたが、その会社名は?-答え:江崎グリコ
⇒豆文広告のアイデアを考えつき、大手の森永・明治と予算に大きな差があったが、森永・明治の知名度に肩を並べました。
大阪の橋は大阪の歴史、文化と深く関係のある存在です。大阪には魅力ある橋がたくさんあります。最後に岸本水府のこの句をご紹介します。
「大阪は よいところなり 橋の雨」
■明治38年高石市に2万人を超えるロシア兵がいたのはなぜ?/辻本 伊織
明治38年に高石市にいたロシア兵たちは 日露戦争の俘虜でした。日露戦争は、大日本帝国とロシア帝国の戦争です。日本はなんとか日露戦争に勝利しました。華々しいあるいは悲惨な作戦・戦闘場面が重視されますが、戦いには絶対について回るのが降服した敵兵をどう扱うかの問題です。戦時俘虜(捕虜)の問題は国際法に関わってきます。
ロシア兵の俘虜は約7万人いました。彼らは戦中から戦後にかけて日本本土に送られて来ました。それを収容するために日本全国に29ヶ所の俘虜収容所が造られます。代表的なものが浜寺・松山・習志野・久留米などにありました。浜寺収容所には、27,925名もの俘虜がおり、他の収容所と比べて群を抜いて多くの俘虜がいました。収容所内には俘虜患者の娯楽室やパン工場があったり、俘虜たちでピクニックへ行ったり、俘虜たちは国際法以上に厚遇されていたようです。大阪には天下茶屋にも収容所がありましたが、そこの俘虜はほとんどが浜寺へ移送されましたので、収容されていたのはごくわずかな期間でした。
浜寺収容所は人数が飛び抜けて多いにもかかわらず、収容されていたのが下士官兵ばかりでしたので、その記録を残しているロシア人はほとんどおりません。収容者数3,673名の松山収容所に関する資料が多いのはやはり将校が多かったからだと思われます。例えば直前まで学生であったクプチンスキーは『松山捕虜収容所日記―ロシア将校の見た明治日本 』を収容所で書いて出版しました。
収容所があった場所については、浜寺公園南端に立つ日露友好の記念碑には、収容所は浜寺公園内と銘記されています。一方、高師浜駅前の説明板には、北は芦田川から南は王子川と銘記され浜寺公園は入っておりません。未だ説が確定されていない状況です。
今回のお話は日露戦争に限定いたしましたが、当然ながら日清戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦でも俘虜および収容所は日本各地にありました。
大阪では第1次世界大戦での敵国ドイツ軍兵士のための俘虜収容所が大正区にありました。
■やっぱり大阪はこんなにオモロイ/オダギリ サトシ
みなさん、大阪市内全部行ったことありますか?自分の住んでいる街や働いている街以外行ったことないのではないでしょうか?地図を見ていると行ったことのない街が沢山あるはずです!そこで、私は、「大阪市内全部行ってみるプロジェクト!」をやってみることにしました。「大阪市内全部行ってみるプロジェクト」とは、大阪24区の地図を持って歩き、歩いた道を赤ペンで記し、歩いたルートのある検索ブロック枠は塗りつぶしていくというものです。全ての検索ブロック枠を塗りつぶすことを目標としています。ただ歩くだけでは面白くないので、「宝探し」をキーワードにしています。「宝」とはもちろん「金銀財宝」のことではありません。日常生活のありふれたもの全てが「宝」候補です。ある人にとっては歴史的な文化が「宝」であり、自分が興味を持つモノ・コト・ヒト・風景全てが宝となるのです!これが宝探しの観光です。遠くに行くことが観光ではないのです!今日はその中からいくつかご紹介します。
・北区-扇町公園にはプールの飛び込み台がイスとなって残っています。
・阿倍野区-2014年3月7日にオープンするあべのハルカスでは、最上階の展望台に行くと360°大阪を見渡すことができます。
・旭区-守口市との境界がギザギザになっています。
・港区-波除山跡が残っています。
・大正区-昭和山という人工の山があり、標高33メートルです。
・淀川区-淀川でしじみがとれます。食べられます。
・天王寺区-谷の清水という現在も湧出中の湧水があります。
・浪速区-コスプレの集団がまちを練り歩いています。
大阪には無限の「宝」が隠れています!ぜひ大阪市内を歩いて楽しみながら大阪の知識を深めてください。
アンケートより
・歴史を再び知る(学ぶ)必要性を感じた
・知らない事が多く、おおさかという都市、水都の認識深まる
・細かいエピソードなど、スライド解説も分かりやすいと思います
などの感想がありました。
会場の様子