摂南大学国際教養セミナー「津波と水の歴史ウォーク」【まち歩き】報告
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実施日:2011年12月17日(土)13:00~15:30
場 所:大正~阿波座
講 師:原 秀禎(摂南大学外国語学部 教授・歴史地理学)
実施団体:摂南大学外国語学部 国際文化教室
場 所:大正~阿波座
講 師:原 秀禎(摂南大学外国語学部 教授・歴史地理学)
実施団体:摂南大学外国語学部 国際文化教室
12月11日のシンポジウムに引き続き、大阪の津波の歴史と水(川)の歴史に関わりの深い場所を巡る「津波と水の歴史ウォーク」を開催しました。寒空の下、3㎞を超える道のりを歩きました。

大地震両川口津波碑(安政大津波碑)
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まち歩きスケジュール
JR大正駅集合→御船蔵跡→開通記念碑→木津川口遠見番所跡→
安政大津波碑→スーパー堤防→尻無川跡→津波・高潮ステーション
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■御船蔵跡(岩崎橋公園)
幕府の官戦等を納める施設で、ここに川御座船がありました。ここで朝鮮通信使が大船を停泊させて川御座船に乗り換え、大坂市内に向かいました。
■尻無川南岸開通記念の碑
北恩加島までの産業道路で、泉尾で貸家事務所を営んでいた大井伊助が全額寄付で完成させたことを記した顕彰碑です。
■木津川口遠見番所跡(大正橋公園内)
宝永5年(1708)に設けられ、不審船や不審人物を高所から監視しました。朝鮮通信使は徳川将軍の代替わりのときに来日した外交使節団で、対馬・壱岐から瀬戸内を経由して大坂に到着しました。そこから京に上って陸路で江戸に向かいました。
■大正橋
大正4年(1915)に架橋。現在の橋は昭和49年(1974)に架け替えられたもので欄干にベートーベン作曲の交響曲第九の譜面、歩道にはメトロノームの堰堤、歩道部分の路面にはピアノの鍵盤がデザインされています。これは第一次大戦後に大正区に大阪俘虜収容所が設置され、大正区民とドイツ人捕虜が交流したことに因みます。
■大地震両川口津波碑(安政大津波碑)
嘉永7年(1854)の大地震で水上なら安心と小船や茶船に乗って避難する人が数多くいました。ところが大坂湾に海嘨現象が発生して多くの人が波に呑まれ、甚大な被害を及ぼしました。石碑は惨状と教訓を後世に残すべく、地震・津波時の心得を記しています。
■岩松橋と岩崎運河
豪商・福西岩松が架橋したので、岩松橋と名づけられました。岩崎運河は、大正9年(1920)に開削されました。狭く浅い尻無川では大型船の運航ができなかったので、大阪ガス岩崎工場の南側に560メートルにわたって運河を掘りました。その後、昭和25年(1950)に尻無川上流部が埋め立てられたので、現在では、ここが尻無川の水源となっています。
■松島橋
江戸時代には寺島と呼ばれていました。明治の初めに川口に外国人居留地が造られたこともあり、松島には市中の遊所を集めて、大阪最大の遊所が開かれました。
■尻無川跡
木津川から分岐していたあたりには、尻無川跡の碑が立っています。現在の松島公園から千代崎が、尻無川と木津川に挟まれた、松島という島でした。
■尻無川
江戸時代の尻無川は、今の大阪ドームから西区江之子島を流れていました。朝鮮通信使が利用する公的な水路で、「唐人澪」とも呼ばれていました。
■津波・高潮ステーション
津波・高潮が発生したときの西大阪地域の防災拠点および津波・高潮災害に関する啓発拠点となる施設です。かつて大阪を襲った高潮や、近い将来必ず大阪を襲うと言われている東南海・南海地震とともに、地震、津波発生時の対応などを学べる、広く開かれた施設です。
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まち歩きの様子
■感想
・ふだん気付かない事がたくさん有りました。知っているのと知らないのとでは全く違う。その事を肝に銘じて、今後備えていきたいと思います。
・どんなに準備しても、想定外のことが発生するということ。
・大阪に海抜0以下の範囲が多くあることが歩いてみてよくわかった。









